傷になりたい08
寝る前にピザ、起きてからもピザ。胃が重たく感じてお昼を抜いて、そのせいで退勤するころにはすっかり空腹だった。約束通り私を会社まで送り届けてくれた南雲さんは、定時退社の私の前にも姿を見せた。
「終わったよ~」
「何が」
だんだん南雲さんに対する扱いが雑になってきている自覚はある。あ、ヤバ。と思うことはあるが、南雲さんがあんまり気にしていなさそうなのでいっそう拍車がかかるというわけだ。
「言ったじゃん敵を潰すって。これできみも安心だね~」
「……そんな簡単なんですか」
「いやいや、僕これでも頑張ったんだよ?」
「それはどうも」
もっと時間が掛かるものだと思っていた。それに潰したって本当だろうか。いろいろ考えた結果、私は言葉を飲み込んだ。聞いても無駄だろうし、そもそも私の踏み込んでいいラインを越えていると思ったからだ。ただ、弟がどうなったかということだけは気になる。弟のことは気軽に口にしないほうがいいと言われているせいで聞けないのだが。
「じゃあ帰ろー」
南雲さんは私の手を掴んで歩き出した。突然のことに言葉を失う。もう安全なら私を送り届ける必要はないんじゃないのか。というか手、なんで繋いでるの。
(……目的地、私の家じゃないじゃん)
また別の場所に連れて行かれている。今回はかなり早めに気づけた……というより予想できたというほうが正しい。
「どこ行くんですか」
「悪いようにはしないから信じて」
「いつもみたいに誤魔化さないんですね」
「今日やったらさすがに殺されちゃうかなーって」
「私に南雲さんは殺せませんよ」
「……だね~」
なんだか含みのある言い方だった。だけどそれ以上は何も言ってくれず、私たちは古ぼけたビルの一室に入った。
何もない部屋だ。悪いようにはしないとは言われたからギリギリ我慢しているけど、本当は今すぐにでも出たい気持ちでいっぱいだった。
南雲さんが上着のポケットから細長い布切れを取り出す。
「ちょっとごめんね」
「え」
……目隠しされた。なに……? さすがにこれは説明してもらわないと困る。
「なんですかこれ!」
南雲さんからの返事はない。巻かれた布に指をかけて、しかしそれ以上動かせなくなってしまった。ずっと聞きたかった声が、私を呼んだのだ。
「姉ちゃん」
「……え」
「ごめんそれ、外さないで」
「なんで? 顔見ちゃだめなの?」
「いま変装してるから。元の顔でうろつくなって言われて」
「……そう。どこも怪我してないよね?」
「大丈夫」
声の聞こえるほうに手を伸ばすと、そっと両手で包まれた。二歩近づいた。ぶつかってもよかった。もう片方の手を弟の手に重ねる。こうしていないとすぐにどこかに行ってしまいそうな気がしたのだ。
「姉ちゃんはアイツのこと好きなの?」
「どうしたの急に」
「いいから答えて」
やっと会えて久しぶりの会話としては、少々おかしい気がした。だけど切迫した空気に押されて「嫌いではない」と言った。好きかなんて自分でもわからない。弟とこんな話をしているなんて妙な感覚だ。
握られた手にギリリと力がこめられる。見えないけど、弟がいい顔をしていないというのがなんとなくわかった。
「俺は嫌い」
はっきりとした声だった。そして私は今さらこの部屋に南雲さんはいないのだろうかと不安になる。嫌いと言ったり、好きなのかと聞いてくるくらいだからいないとは思うけど、目隠しのせいでどちらとも言い切れない。
「……南雲さんいないの?」
「どっか行った。……ああでも、聞かれてたかも」
まあ別に嫌ってるのは知ってるだろうし。弟がこんなに敵意むき出しなのを見るのは初めてだった。意外だ。南雲さんのほうが弟を悪く言うようなことはなかったから余計に。私に気を使っていただけかもしれないけど。
「アイツはやめたほうがいいよ」
「どうして?」
「アイツ、死んだ女のことずっと調べてる」
「……え?」
「死の真相が知りたいから協力しろって」
「……そうなんだ」
他に何か言い方があっただろうか。本当なら弟のことをもっと気遣ってあげるべきだったと、後になって思い返してみれば山ほど後悔はある。身の安全は保障されているのか。何か私にできることはないか。例えそれが殺しの世界からほど遠いところにいる人間の甘っちょろい寝言だったとしても、姉として弟にかけるべき言葉として間違いではなかったはずだ。だけどこのとき私は頭がうまく働かなかったというか、自分のことに精一杯だった。
「ごめん……五分だけって約束だから。……元気で」
「待って!」
爪が食い込みそうなくらい力を入れたのに、あっさりと離れていく。すぐに目隠しを外したけれど、そこには来たときと同じく南雲さんが立っていた。
「……どこ行ってたんですか?」
「坂本くんのとこで肉まん買ってた」
ハイと渡された紙袋はじわりと温かい。……中には肉まんが二つ。
「あの子の分は?」
「え~、そこまで考えてなかったな。食べたきゃ自分で買うんじゃない?」
「……私はいらないから二人で食べてください」
「いや僕らずっと顔合わせてるってわけでもないし……」
「帰りますね」
肉まんの入った袋を南雲さんに押し付けてビルを出た。後ろから南雲さんが追いかけてきている。「なんか怒ってる?」と聞かれたって、私は首を横に振ることしかできない。
「怒ってるじゃん。ねえなんで? 喜んでくれると思ったんだけど」
そう、南雲さんは何も悪くない。強いて言うなら「弟を利用するな」なのだが、私は全く別のところに引っかかっていた。どうして引っかかっているのかなんて考えたくもなかった。
「ねえってば」
「……拗ねてるんです」
南雲さんがぽかんと口を開く。今のは自分でもどうかと思ったが、南雲さんに非はないと伝えるためには仕方がなかった。だがそうなると「なんで拗ねてるの」という話になってくるわけで。
「言いたくないです」
そう言って思い切り顔を背ければ「え、かわいい」と信じられない言葉が聞こえてくる。びっくりして思わず南雲さんの顔を見てしまった。彼はにっこりと笑っている。
「なんで拗ねてるのか教えて?」
「いや」
「えー。またそうやって僕を振り回すんだー」
むしろ振り回されているのは私のほうだ。南雲さんは、ねえねえと私の顔をのぞき込んだり、ちょいちょいと腕を引っ張ってみたり、ああもう面倒くさい。
一番面倒くさいことになってるのは私だってわかってる。だから急に全部どうでもよくなってとんでもないことを口走ってしまったのだ。
「すきつきあって」