はよ気づけ06
びっくりした。びっくりしすぎて思わず立ち上がってしまった。神々廻が目の前にいる。おおよそ一年ぶりのことであった。
もう来ないのかと思っていた。だけど神々廻は何事もなかったかのような顔で、お土産の入った紙袋を差し出してきた。神々廻がそんな感じだから、私も同じようにしなければいけないような気がした。
「あ、チョコだ。ありがと~」
「それ南雲から」
「え、そうだったの? 珍しい」
「萩の月もらったから言うてたで。いつの話してんねんな」
「あー……あれ、もとは神々廻がくれたやつなのにねえ」
神々廻の顔には大きな傷跡ができていた。いつできた傷なのか聞かなくてもわかってしまう。なんで診せに来てくれなかったのかと聞く勇気が出ない。きっと私が診たところできれいに治せるような傷じゃなかった。医務室を任されている意味がまるでない。それでも私はここで神々廻を待つことしかできなかった。
「傷、残っちゃったね~」
「あー……そやな」
「四ツ村さん、何か言ってた?」
「いや別に」
「……そっか」
もう四ツ村さんのことを口にする人はほとんどいない。言ってはいけないような空気が殺連の中を漂っているのだ。神々廻からも、四ツ村さんのことは話したくないという雰囲気を感じる。
私は神々廻が部屋の奥に進んでいくのを静かに見守った。忙しいからって言われるんじゃないかと身構えていたけど、まだここにいてくれるみたいだ。
……話を変えよう。
「髪、伸びたね。っていうか下ろしてるし。なんか大人っぽい」
「ずっと同じとこで結んどくとハゲるらしいねん」
「神々廻ハゲ気にしてるの?」
「そら気にするやろ」
ふてぶてしくベッドに座る姿が懐かしい。避けられているのかと思っていたけど、違ったみたいでよかった。
「私も休憩にしよ。神々廻もチョコ食べる?」
座ったまま椅子の足のタイヤでごろごろとベッドに近づく。神々廻は私が差し出したチョコを一粒手に取ると、あんまり興味なさそうな顔で口の中に放り込んだ。相変わらず味わっていなさそうな食べ方だ。
「おいしい?」
「んー……まあまあイケるんちゃう」
「適当~」
私も一粒いただいた。おいしい。至福。このまま寝ちゃいたい。
「ねむい」
「仕事せえや」
「神々廻こそ。今日は暇なの?」
「いや忙しい」
「……わざわざ来てくれてありがとね」
「なんでやと思う?」
「……え」
何が。何の話。聞けばいいのにそれすらできなかったのは、神々廻があまりにも真っ直ぐに見つめてきたからだ。そして次の瞬間、このベッドに押し倒されたときのことを思い出した。今日はまだ距離がある。あのときとは状況が全然違う。だけど同じ目をしていた。気のせいだからと忘れようとしたあの日のことが、まるで昨日のことのように思い出された。
「忙しいのにわざわざ時間作って、なんでそうまでして俺がここに来ると思う?」
「……」
最初は義務感で来ているのかと思った。その次はサボリ。だけど今の神々廻にここに来る義務はないし、ORDERになってからは手土産のためだけに来てくれることもあったから、サボっているわけでもない。
「次来るまでに考えといてや」
「……次っていつ?」
「俺は別に明日でもええけど」
「だ、だめ!」
「なら一年後?」
「それもだめ……」
「なんや我儘やなぁ」
「神々廻がかわいくない……」
あの初々しかった神々廻はどこへ行ってしまったんだろう。チンピラみたいだった神々廻には、まだ少年の面影が残っていた。だけど今は……。
「俺にかわいさなんか求めんなや」
「……ヒントもらってもいい?」
「まあええけど」
地面を蹴って神々廻から距離を取る。ちょっとタイヤの滑りがよすぎて離れすぎてしまった気もするが、落ち着くためにはこのくらいがちょうどいいのかもしれない。
「神々廻のことかっこいいって言ってた子がいたんだけど」
「はあ?」
「食事……誘われたりした?」
「誰のことかもわからんし、誘われても行かへんかったやろな」
「そう……」
神々廻の答えに安堵した自分がいた。あのときは微笑ましいなと思っていたはずなのに、おかしい。いつからこんな風になってしまったんだろう。
どうすべきか考えていたら、神々廻はスマホを触り出してしまった。本当に今は返事を聞く気はないらしい。つまり私は神々廻が次に医務室を訪ねてくるまでこのモヤモヤした気持ちを抱えたまま過ごさなければならないと。耐えられるわけがない。
「神々廻」
神々廻はスマホに目を向けたまま「んー?」と、いい加減な返事をしてくる。
「今日……仕事終わってご飯行ける?」
神々廻はようやく顔を上げた。
「ええよ」
その日、私は浴びるように酒を飲んだ。途中から神々廻も引いていたと思う。だけどこうでもしなければ恥ずかしくて言えなかった。もし私の勘違いだったとしても、酒に酔っていたからという逃げ道がほしかったのだ。
「ししばぁ~! わたし、ぜえっっっったい! ししばのこと、しあわせにするからねぇ!」
これを言ったところまでは覚えている。しかしその後どうやって家まで帰ったのか。気づいたら私は自分の部屋のベッドで寝ていて……そして隣には明らかに人の気配がしている。思い当たる人物は神々廻しかいないのだが……確認するのが怖い。私はまず布団をそっとめくって着衣に乱れがないかを確認した。……セーフ。いや、パジャマを着てるってことはアウト? 隣に気づかれないようベッドから脱出しようとすると、お腹にがっつりと腕を回されて身動きが取れなくなってしまった。
「お……おはよう?」
「おはよう」
隣にいた人物はやはり神々廻であった。まあ、よかったと言える。それでも何があったのか思い出せないところがつらい。ストレートに聞くべきなのか悩んでいると、神々廻はのそりと起き上がった。つられて私も身体を起こす。
「一応言うとくけど、何もしてへんよ。まだ」
「まだ……ということは、今からしますか?」
「残念ながら今日も仕事やねん。アンタも休みやないやろ」
「はい。申し訳ありません……」
つまり神々廻は酔っ払いの介抱をしただけということになる。私、最低なのでは。
それから私たちはもくもくと身支度を整えて家を出た。神々廻は現場に直行らしいから、マンションの前でお別れだ。
「それじゃ、気をつけてね」
できるだけ明るく言ったつもりだけど、実のところ自己嫌悪で潰れてしまいそうだった。叶うなら昨日の夜に戻りたい。
「八時までには帰ってくるわ」
「えっ」
「今日は酒、飲まんといてな」
「……うん!」
別れ際にポンと頭を撫でられたのがこそばゆかった。心なしか神々廻が優しいような気がする。まだ色々反省したいことは山ほどあるけど、とりあえず今は仕事に行かなければ。