友達だから04
寿司屋の一件から反省して、私はおとなしくしていた。必要以上に南雲に近づくことはしなかったし、何なら別件の仕事を入れていたくらいだ。しかしそれにいい顔をしないのが私の上司である。
やる気を問われ、成果を上げろと詰められる。「成果と言いましても何も怪しいところはないので……」と言えたらどんなによかったことか。
(やっぱ退職かな)
一周回ってまたもその結論に落ち着く。上司の言葉を聞き流しながらそんなことを考えていたら、
「おい、返事は」
いつの間にか話が終わっていたらしい。反射で「はい」と答えそうになったけど、目の前にSDカードが置かれているのに気づいて口を結んだ。スマホに差してこいということだろう。いや、さすがにそれは難易度高すぎないか。バレたら殺される。
「この中身は?」
「お前が知る必要はない」
「……」
「最悪ヤツの荷物に紛れさせるだけでも構わん」
渋った態度を見せていたら、顎で「行け」と言われる。仕方なくカードをポケットに突っ込んで私は部屋を出た。
とりあえず選択肢は多いほうがいいと、フリマアプリで中古のスマホを一つ購入した。これが到着するまでには覚悟を決めなければならない。やるのか、それとも逃げるのか。
自宅のベッドで仰向けになりながら、渡されたSDカードをぼんやりと眺める。中身はなんだろう。最初はウイルスの類かと思ったけど、荷物に紛れさせるだけでいいのなら、殺連にとってよくないデータが入っているのかもしれない。……ってことは証拠の捏造? もしかして真っ黒なのは私の上司のほうだったりする……?
考えれば考えるほど怪しいような気がしてきた。しかし確証がない。カードの中身を確認できたらいいのだが、ファイルが入っていたとして、開いた時点でバレるような仕組みはいくらでもある。開くにしても新しいスマホが届いてからだ。それならウイルスだったとしても大丈夫だし、万一のときの言い訳もできる。上司には、
「カードのままだと怪しいからスマホに差した状態で南雲の荷物に紛れさせるつもりでした」
と言えばいいし、南雲には、
「新しいスマホ、お店に忘れてきちゃいました。急に気分が悪くなったので回収してきてもらえませんか?」
とでも言えば……まあそんなに上手くいくとは思えないけど、一応の道筋は立ったはずだ。実行するかどうかはまだ決めきれない。今いくら悩んだところでカードの中身を見たら決意も揺らぐかもしれない。なんとなく嫌な予感がしていた。今一番気になるのは、行方不明になった前任のことだ。もしかしたら私と同じような状況に追い込まれて逃げたのか、それとも消されたのか……悪いほうにばかり考えてしまう。
スマホは一週間もしないうちに到着した。「迅速な対応ありがとうございました」と高評価を押しつつも、内心では「早すぎ」と文句を言う。さて、どうしようか……。
まずは届いたスマホの動作確認をして、機種変の説得力を持たせるためにもともと持っていたスマホの電源を切る。そしてすぐにカードを差してしまえばいいのに、気が進まなくて時間を置いた。冷静になりたくて熱いお茶を一杯飲んだ。まだ何もしてない。まだ、大丈夫。
踏み切れない理由は、ここ数日で上司への疑いが強くなったからだ。カードの中にはおそらく南雲を陥れるためのデータが入っている。南雲にカードを押し付けたらすぐに連絡を入れるようにと追加で指示が来たのだ。ブツを所持しているところをすぐにでも確保したいのだろう。私の疑いに念を押すように、以前上司が出世争いに敗れたという話も出てきた。もしここで私が逃げ出して、それが上手くいったとして、私のよう何も知らない下っ端がまた南雲のもとへ送り込まれるのだろう。……それでもいい気がした。利用されるのも陥れられるのも、この世界では珍しい話ではない。いま私が考えなくてはならないのは、どう動くのが最も自分の利益になるかということ。そんなのわかっているのに――
カードを差してファイルを開けば、麻樹会長の暗殺計画が記されていた。それを二行も読まないうちに、窓が割れる。狙撃されたようだ。
湯呑みが粉々になり、銃弾は床にめり込んだ。これは脅しだ。私は狙撃で狙える位置にはいないから、焦る必要はない。
スマホで録音しながら上司に電話を掛ける。ツーコールもしないうちに着信は拒否された。もう私は切られてしまったらしい。
今からでも誰か別の人間に報告を入れるべきだろうか。しかしカードを所持しているのは私で、きっとその辺りも根回しはされているはずだ。どこからどこまでが敵なのか、私には見当もつかない。
急に冷静になり、馬鹿なことをしたなあと思う。下手に動けば窓から狙撃されて、玄関を開ければ一瞬で首が飛ぶ。やけに静かな室内で、もう昼寝くらいしかできることはないような気がした。
どうせそのうち突入してくるだろう。返り討ちにできる気はしないけど、一人くらいは道連れにしてやりたい。南雲に連絡したら助けてくれるだろうか。彼の味方をしたんだから、それくらいは頼んだっていいはずだ。でも、きっと間に合わない。
下手な芝居なんて考えず、最初から南雲に連絡しておけばよかった。だけど確証もないまま南雲を引き込むのは無理だったようにも思う。この任務が私に回ってきた時点でどうすることもできなかったのだと思えば、少しは気が楽になった。
念のためにスマホの電源を入れて、彼の位置情報を確認する。
(……え?)
南雲はここにいる。位置情報はそう示していた。見間違いじゃないかと確認するけど、何度見ても同じだった。
――ピンポーン。
インターフォンが鳴り、スマホには「開けて」とメッセージが届く。びっくりして返事を打てずにいると、「生きてるよね?」と続く。
本物? これは罠? 開けても大丈夫? とりあえず「生きてる」とだけ返せば、すぐに既読がついた。
もし本物なら声を聞かせてほしい。そう思って電話を掛けようとしたところ、割れていた窓がさらに粉々にされる。もはや窓枠しか残っていないそこからゆったりと入ってきたのは、紛れもなく南雲であった。
南雲はガラス片を蹴飛ばした。土足である。
「ねー、なんで開けてくれないの~?」
「南雲さん……」
「怪我はない?」
「……ないです」
「急に電源切るからびっくりしたよ。それで来たら大変なことになってるし」
「……外、誰かいませんでした?」
「まあ、いたにはいたけど」
はっきりとは言われなかったが、殺したのだろう。そうでなければこんな狙いやすい場所にいるのに弾が飛んでこないはずがない。
「どうしてここにいるってわかったんですか?」
「電源切れたのここだったから」
「でも、それから結構時間経ってる……」
「まだ気づいてないんだ~」
南雲は静かに近づいてきて、そっと私のポケットから携帯を抜き取る。パカッと開かれたガラケーをプラプラ揺らしながら、南雲は笑った。
「本命はこっち」
サッと血の気が引く。南雲に携帯を触られたのはいつだった? ……最初の最初じゃないか。あのときからずっと携帯に何か仕込まれていたと?
(全然気づかなかった……。諜報部失格では)
携帯には盗まれて困るような情報がないからと油断していた。南雲はスマホのほうにしか連絡してこなかったし、位置情報共有アプリを勝手にダウンロードするしで、だけどそれは私の意識をスマホに向けるようにするための行動だったのだ。
「悔しい……」
「そこは別に悔しがらなくていいんじゃない? これのおかげで助けてあげられたわけだし」
「なんで来てくれたの」
「そりゃまあ、友達だから?」
そっちこそ、と南雲は続ける。
「よかったの? 上司を裏切っちゃって」
「その上司が真っ黒だったもので」
「みたいだね~。ようやくシッポ出してくれて助かったよ」
南雲が言うには、私の上司は今ごろ取り調べを受けているということだ。彼は彼で私の知らないところで動いていたと……。教えてくれたっていいのに。これに関しては気づかなかった私が悪いんだけど。幸いなことに、私はただ利用されただけの何も知らない下っ端として特にお咎めはないらしい。これで南雲を陥れるために動いていたらどうなったのか想像するとゾッとするが、そこはまあ考えないでおく。
「……なんか疲れた」
生きている実感さえもあまり沸かない。ベッドに寝転べば割れた窓の破片が手に突き刺さる。
「何やってんの。血、出てるよ」
南雲は私の手についたガラス片を払ってくれた。抵抗する気にもなれない。私は枕に顔を埋めた。
「フローター呼ぶ?」
「……後ででいいです」
「寝るの?」
「うーん……」
「もー。甘えん坊なんだから」
なんだかとても不服な言葉が聞こえてきて、顔を上げる。南雲はベッドの隅に座ってにこりと笑いかけてきた。
「怖かったんでしょ? いいよ甘えて」
「怖いというか、諦めてました。八割くらい」
「残りの二割は?」
「南雲さん助けてくれないかなーって」
「期待に応えられてよかった~」
「ついでに退職する決心がつきました」
「え、そうなの?」
「もういいかなって」
「そっか。まあなんていうか、お疲れ」
あーあ。初対面のときは引きとめてきたくせに。あれは全部私の上司を探るための方便だったんだなあと実感する。別に引きとめてほしいわけじゃないし今回は何を言われたって揺るがないけど、全部むこうの手のひらの上だったってのが気に入らない。最終的に私も彼を頼っちゃってるし。自分と比べるような次元の人じゃないことはわかっているけど、こうも近くにいると眩しすぎて目を開けるのも億劫になってしまう。
「殺し屋引退するってわけじゃないんでしょ?」
「それは考え中ですね~」
「ふーん」
「……寒っ」
気づけば割れた窓から冷たい風がびゅうびゅうと入ってきている。散らかった室内がさらに散らかるし寒いしで最悪だった。
「あー……やっぱりフローター呼びます」
「冬の窓全開は寒いよね~」
「ですね~。じゃあ後はやっとくんで。なんか事情聴取とかあるときは言ってくださーい」
「……うん」
南雲は少し困ったように笑った。いつもと違う笑い方だった。そっちのほうがいいですよと言えるような立場でもないので心の中にとどめて、南雲の後ろ姿を見送る。
殺連からの事情聴取を受ける中で、前任が南雲によって保護されていたことを知った。もう笑うしかない。最初の担当は残念ながら行方不明らしいが、どうせ隠居生活を楽しんでいるのだろう。そう思うことにした。そして取り調べが終われば、私の退職願いもすんなりと受理される。
最終日の仕事を終え、支給されていた機材を返却して殺連のビルを後にする。思い返せばロクなことがなかった。仕事はきついし何度も死にかけるし上司は頼りにならないし。よかったことと言えば、貯金ができたことぐらいじゃないだろうか。……いや、もう一つあった。
警備員に頭を下げて殺連の敷地を一歩出たところでポケットのスマホが鳴る。
「退職おめでと~。これで晴れてニートだね~」
メッセージではなくわざわざ通話でこれを伝えてくるところが憎らしい。どこからか私のことを見ているのだろうか。辺りをぐるっと見渡しても、彼の姿は確認できない。
「おかげさまで。いろいろお世話になりました」
「こちらこそ~。じゃあ元気でね」
通話はあっけなく切れた。もう位置情報共有アプリは削除したしガラケーは手放したし、この連絡先だっていつまで繋がるかわからない。それでもまあ、悪くないと思う。いろいろ腹立つこともあったし、ちょっと恥ずかしい勘違いもしたけど(私のことを落とそうとしてる、とか)、少しは楽しめた……と思う。
フローターのおかげですっかり元通りになった我が家に戻ると、急に辞めたという実感が沸いてきた。辞めたくて仕方がなかったわけだけど、少しも未練がないと言えば嘘になる。圧倒的な力を持つ……それこそ南雲のような人に憧れていた。だけど全部終わった話だ。
退職祝いに高いお菓子とお酒を買った。そして今からピザを頼む。今日は最高の夜だ。