ゴロツキ時代のボスの娘に再会する03

 しばらく泣いていたなまえだったが、だんだんと神々廻を掴む力が弱くなっていく。そのまま眠ってしまうかと思いきや、突然ハッと顔を上げて「お風呂入らなきゃ」と言う。それからは早かった。神々廻のことなんか忘れたように彼女は浴槽にお湯を溜め始め、持参したカバンから似たような化粧品を三つも出してテーブルの上に並べた。着替えはあるのだろうか。聞き方によっては問題になりそうだ。
「……そういや急に来てしもたけど、コンビニとか行かんでよかった?」
「あー……行きたいかも。神々廻さんお湯見ててくれる?」
「アホ。一人で行かせるわけないやろ」
「きゅん」
「……」
 こいつ自分がどういう状況かわかってへんな。何のためにここに連れて来られたのかいっぺん思い出してくれ。
「とりあえずお湯は一回止めよか」
「はぁい」
 浴室に向かう彼女の背中を眺めながら、神々廻は首の骨をポキリと鳴らした。長らく同じ体勢でいたから疲れてしまった。なるべく自分からは触れないようにしていたのだが、そんな努力に彼女は気づきもしないのだろう。
(……にしても、)
 あの切り替えの早さは何だ。無理をしているのか、それとも泣いてすっきりしたのか。気にはなるが、触れたら面倒なことになるのは目に見えている。
「お待たせ―」
 さして待ってもいないのに、彼女はパタパタ小走りで戻ってきた。
(あかん、調子狂うわ)
 健気に振舞うなまえを見ていると、つい手を伸ばしてしまいそうになる。神々廻はその手を背中に隠し、人知れずグッと拳を握り締めた。

(なんやねんこの菓子の山……)
 次々と放り込まれていかれる菓子は、そろそろカゴから溢れてしまいそうだ。そのまま食べ物以外が積み上げられることはなく、呆れながらレジに向かう。レジの男はカゴいっぱいの菓子の山を死にそうな目で見下ろした。ダルそうにバーコードをスキャンして、まだまだ会計は終わりそうにない。
 いっぽうなまえは、神々廻が足止めされている間にもう一つのレジでコソコソ会計を済ませていた。何を買ったかなんて知ろうとも思わないが、そういう理由でカゴをいっぱいにされたのだとしたら怒る気にはならない。目の前のカゴにパンツ入れられるよりは、全然。

「神々廻さんは付き合ってる人いる~?」
 コンビニから出ると、なまえに聞かれた。いないのだから普通にいないと言っていいのかもしれないが、いることにしたほうが都合がいいんじゃないかと迷う。
「ああでも、いたらいるって言うか」
 ……それもそうだ。好きといわれて、恋人がいるならその場で言うのが普通だろう。
「悪かったな、おらんくて」
「悪くないよ。いなくてよかった」
「……おったらどうすんの」
「浮気相手になるのは嫌かなあ」
「ふーん」
 レジ袋が足に当たってガサッと音を立てる。大きさの割には軽いが、これを自分も食べる羽目になるのかと思えば途方もない量に感じた。
「じゃあ好きな人は?」
「特に」
「じゃあ私と付き合ってもよくない?」
「……いや、おったわ」
「そんなに私タイプじゃない?」
「……一個聞きたいんやけど」
「なに?」
「俺のこと、恨んでへんの」
 彼女は目をまん丸にして立ち止まった。なんで? と言いたげな顔だ。とぼけているわけではなさそうだった。
「俺が殺連の犬やって聞いて、何も思わん?」
 結ばれていた彼女の口が、わずかに開く。ようやく伝わったのだろう。目を逸らされた。
「なまえちゃんのお父さん含め、全員死んで……そんで俺だけ生きてて、なまえちゃんからしたら殺連は親の仇みたいなもんやろ」
「……神々廻さんのことは、別に」
「なら四ツ村さんのことは?」
 こんなのコンビニ帰りにするような話ではない。わかっているのに止められなかった。なまえに好きだとか付き合ってだとか言われるたびに、責められているような気持ちになるのだ。なあ、わかるやろ? もうやめとこうや、お互いのために。
「……恨んでる」
「そうやろうな」
「でもね、それからずっと見守ってくれてたことは感謝してる。死んでほしいとは思わない」
「……」
「お父さんのことは好きだったよ。私には優しかったし。でも、もっと普通の家に生まれたかったって何回も思った」
「そーか」
「神々廻さんは私に恨まれてるか心配でたまらなかったってこと?」
「そこまで言ってへん」
「じゃあ罪滅ぼしで付き合うってのはどうかな」
「頼むから話聞いてくれ」
「そうやってはっきり断らないから私みたいなのに付け込まれる」
「……は?」
 いやいやいや。ずっと明確に拒否してたやろ。……してたよな?
 呆然とする神々廻をよそに、なまえは神々廻の持っていた袋の一番上からグミを抜き取ってビリッと封を開けた。
「神々廻さんも食べる?」
「……や、いらん」
「何日くらいホテル泊まればいい?」
「そう長くはならんと思うけど……」
 なんでもう別の話題になってんねん。
(これ、俺が悪いんか?)
 そういえば南雲にも言われたのだった。「神々廻って告白される前に壁作るタイプじゃない?」と。まあ、なまえにはすでに何度も告白されてしまったのだが。今までのことを思い返せば、態度で示すことはあれどきちんと言葉にして言ったことはなかったかもしれない。
「なまえちゃん」
 別に悪者になるのは構わない。ならどうして今までそうやって生きて来たか、神々廻もわからなくなっていた。
「俺はあんたと付き合う気はないし、そういう目で見たこともない。これは仕事。好きとか言われても迷惑や」
「……なんだ、押せばいけるかと思ったのに」
 うつむいたなまえは、神々廻と目を合わせることのないまま言った。
「迷惑かけて、ごめんなさい」
 そうしてめっきり静かになった彼女は一人で部屋に戻り、神々廻は大量の菓子を抱えたまま隣の部屋のドアを開けた。

 神々廻はベッドの上で食べる気もなかった菓子を一つ手に取った。黒豆おかき……しぶいな。まあ好きやけど。
 ボリ、と噛み砕く音がやけに響く。塩の利いたおかきはビールによく合いそうだ。
(あー……さすがに言い過ぎたか?)
 迷惑かけてごめんなさい。別に謝ってほしかったわけじゃないのだ。迷惑というよりは、面倒だった。恋人を作る気はなかったし、そういう目で見たことがないというのも本当だ。悪者になるのは構わないと思っていたはずなのに、いざあの表情を前にしたら罪悪感が押し寄せてきた。余計に面倒なことになっている自覚はある。
 早いとこ彼女の身の危険になりうるものを排除して、家に帰そう。そうしたらまた日常に戻れる。
(……いや)
 神々廻は元に戻れるかもしれないが、彼女は違った。父親が死んだと突きつけたじゃないか。それに仕事は? 明日もずっとここにいて平気なのか、聞きもしなかった。
(なんでこんなゴチャゴチャ考えなあかんねん)
 神々廻は食べかけのおかきの袋をテーブルに放り、ベッドに寝転んだ。腕で目元を覆うと、泣きそうな彼女の顔が浮かんできた。
(あー……そういや風呂入らな)