ゴロツキ時代のボスの娘に再会する08
渾身の部屋着にも神々廻は無表情でお土産の紙袋を差し出してくる。それですぐ背を向けてくるから、とっさに呼び止めてしまった。もちろんそのあと何を言うかまでは考えていなかったので、気の利いた言葉が出てくるはずもなかった。
「どうしたん?」
「あ……えっと、忙しい?」
「それなりに」
「……ごめん、それなら大丈夫」
「そんなん言われたら気になるんやけど」
「……せっかくお土産あるし、お茶でもどうかなと思って」
「あー……」
特に責められているわけではないのに、悪いことをした気分になってくる。こんなことなら呼び止めなければよかった。神々廻が困ってるじゃないか。
「そんな怯えんでもええやん」
「……」
「まあ今日はちょっと無理やけど」
「……うん」
「ほな」
今度こそ行ってしまった神々廻を見送ってドアを閉める。
(『また』って言われなかった……)
小さな事かもしれないけどショックだ。今日は無理と言われて、だけど次を思わせるようなことは言ってくれなかった。しかし落ち込んでばかりではいられない。まだお土産のお礼のメッセージを送るという重大ミッションがある。見たところ中身は八ツ橋とおかきのようだ。本当なら今すぐにでも感想を送りたいけど、さっきの今だ。貰って数分しか経たないうちに「おいしかった」なんて送って、食いしん坊だと思われたらたまらない。
考えた文章はひとまず一晩寝かせた。そして次の日の朝のうちに送った。
「お土産ありがとうございました。おいしかったです」
悩みに悩んで結局シンプルに落ち着いたというやつだ。
とりあえずこのことは一旦忘れて、仕事用のパソコンを開いた。ホテルで仕事ができなかったわけじゃないけど、やっぱり自宅のほうが落ち着いて作業ができる。
神々廻から返事が返ってきたのは昼になってからだった。「どういたしまして」という素っ気ない一文だけだったが、それすらもなまえにとってはキュンとするポイントだった。だけど……
(もしかしてこれで終わり……?)
面倒くさいと思われたくない一心でシンプルに攻めたのだから、当たり前と言えば当たり前だ。次の手を考えたかったけど、仕事の納期がそこそこ近づいている。今日は仕事をしよう。そうしているうちに、数日が過ぎてしまった。
お土産のお礼をしたいと言えばよかったと気づいたのは、抱えていた仕事が一区切りついたときだった。もうあれから一週間だ。かなり今さらな気がする。
神々廻は困ったことがあれば連絡するようにと言ってくれた。しかし困ったことに、困ったことが何もない。
失敗したな~という気持ちを四ツ村へのメールに書き綴る。メールは既読がつかないから見られているのかもわからないけど、やっぱり自分の気持ちを文章にすると心の整理ができる。日記みたいなことを送って申し訳ないと思わないわけじゃない。でも、それくらいしたって許されるよねという気持ちもあった。四ツ村に対する感情は、今も上手く整理できていない。恨んでいるけど嫌いじゃない。直接会って話がしてみたい。この気持ちもいつか文章にできたらいいなと思っている。
もちろん四ツ村からの返事はなかった。だけど入れ違いのように神々廻から連絡が入る。
「明日、飯行ける?」
なまえはベッドから飛び起きた。
四ツ村へのメール、何かご利益があるのかもしれない。こういう返事は時間を置いたほうがいいとか諸説あるけど、なまえにはそんなことをする余裕はなかった。すぐに「行けます」と返事をして、そうしたら次はお店のアドレスが送られてくる。
「店に18時でいい?」
「大丈夫です!」
それきり返信はなかったけど、なまえはしばらくスマホをぼうっと眺めていた。嘘。信じられない。なんで。
四ツ村には一応報告のメールを打っておいた。もはや返事が来るかなんてどうだってよかった。
次の日、何時間もかけておしゃれをして待ち合わせ場所に向かった。そしたら店の前で女の人と話している神々廻を発見する。神々廻は相手の顔も見ずに返事をしているけど、女が食い下がる様子はなかった。どうするんだろうと思っていたら、神々廻が突然こっちを見て指差してきた。
女と目が合う。きれいな人だ。ちょっと睨まれたような気がする。しかし彼女はすぐに神々廻のほうに顔を向けてまた何か言っている。
(……ま、負けてたまるか!)
なまえは大股で歩いて行って、神々廻の腕を取った。ぎゅうと腕を絡めて、だけど女を睨みつける度胸まではでなかった。なまえがじっと自分の足元を見ていたら、
「そういうことやから」
と、神々廻の声がする。さすがに諦めたのか女の人は何も言わずに去って行った。
なおも腕を離さずにいると、神々廻が絡めているほうの腕を軽く振ってきた。
「おーい、なまえちゃん」
さすがにこのままでいる勇気はなかったため、そっと神々廻から離れる。
「……ごめんなさい」
「いや助かったわ」
「なんて言われたの?」
「飲み行こうとか、そんなん」
「ふーん」
やっぱりモテるんだ。わりとよくあることなのかもしれない。今日は約束があったからよかったけど、なかったらどうなっていたのだろう。
「ああいう人についていったことある?」
「ないない」
「……じゃあいいけど」
なまえがそう言うと、フッと神々廻が笑った。……うわ、かっこいい。
「なんで笑うの」
「いや、なまえちゃんの許しを得られてよかったなーて」
「何様やねんとか思ってる?」
また神々廻が笑った。さっきよりもわかりやすく声を上げている。
「なあ、いい加減入ろうや」
店に入るとすぐに予約席のカウンターに通された。一番人気だという天ぷら御膳を二人で頼んでメニューを閉じる。神々廻と二人でご飯に来ているという事実にまだ頭が追い付いていない。神々廻の横顔をじっと見ていたら、呆れた顔をされた。
「何や」
「目に焼き付けてる」
「やめてくれ」
神々廻は目を逸らしてお冷を半分ほど飲み干した。
ほどなくして天ぷらが運ばれてくる。揚げたての衣はつゆに通してもサクサクとした食感が残っている。中の野菜の甘みが噛めば噛むほど口の中で広がって、つゆで食べても塩で食べてもおいしかった。
「よく来るの? ここ」
「いや初めて」
「……なるほど?」
「なるほどて何?」
「……言ってみただけ」
実は神々廻に確認しておきたいことが一つあった。ただ、店の中で言っていいのかわからないので探り探りになっている。待ち合わせの前に聞いておけばよかったのかもしれないけど、約束がナシになったら嫌で切り出せなかったのだ。
「おいしいね」
「ん、そーやな」
「神々廻さん、お金……」
店を出てすぐになまえは財布を出した。というのも、お金を払おうと思ったらすでに会計が済んでいたのだ。帰り際にトイレに行ったわけでもないのになぜ? と思っていたら、神々廻がトイレに行ったついでに払っていたという話だった。
「ええよ別に」
「でも」
「それ言うならこの前コンビニで菓子買ったときのほうが高かったんやけど」
「え、うそ」
「レジの兄ちゃん死んだ目しとったで」
「え~……ごめん」
「まーあれは経費で落ちたけどな」
「……嘘だ~」
「バレたか」
なまえは財布を鞄にしまった。「送る」と素っ気なく言った神々廻の背中を追いかけながら、さっき店の中で考えていたことを思い出す。
「ねえ、神々廻さん」
「ん?」
「今日のって仕事の一環だったりする?」
連絡が来たときは単純に嬉しかった。だけど期待しすぎると後が怖いと思ったのだ。どういう理由で神々廻が誘ってくれたのかは知らないけど、もしかしたら殺しのターゲットがあの店に潜んでいるとか、そういうこともあるのかもしれない。しかし神々廻は涼しげな顔で、
「いやちゃうけど」
と言った。
「え……じゃあ、今日はどういう?」
「言わせるんかい」
「言わないなら都合よく解釈しちゃうよ」
神々廻はなまえから顔を逸らしてしばらく黙っていた。そして大きなため息をつく。
「まず、謝らして」
「何を?」
「冷たくしすぎた」
「え、いや……え?」
冷たくされたなんて思っていない。迷惑だと言ったことに対して謝ってくれているのは何となくわかるけど、むしろはっきり言ってくれて誠実だと思っていたほどだ。それに、ずっと優しかった。家まで来てくれたし、お菓子もたくさん買ってくれたし、ヨーグルトも一緒に食べてくれたし。仕事のことも気にかけてくれた。困ったことがあったら連絡していいと言ってくれた。京都のお土産まで買ってきてくれた。そんなに申し訳なさそうな顔するようなこと一つもされていない。それでも謝ってきたってことは、期待してもいいってことだろうか。
「また好きって言ってもいいの?」
「ほぼ言うてるようなもんやん」
「神々廻さんも私のこと好きになってくれたの?」
「いや、」
「違うの?」
「ちょお待って」
神々廻が口元を右手で覆った。それからしばらく間を置いて、ぼそっと言う。
「気になんねん」
その手は徐々に上へずれていき、とうとう顔が見えなくなってしまった。神々廻があまりにも照れるものだから、なまえに恥ずかしがっている暇などなかった。
「どういうこと!?」
「そんままや」
「それじゃわかんないっ」
「ちゃんと生きてんのか、飯食うとるか、変なやつに目ぇつけられてへんか、ふとしたときに思い出すんや」
「……愛?」
「知らん」
神々廻は背を向けてスタスタ歩き始めた。慌てて追いかけて、少し迷ったけれど腕を掴む。そのまま絡ませても振りほどかれたりはしなかった。そしたら今度は急に恥ずかしくなってきた。
ばくばくと心臓がうるさい。周りが静かなせいで余計に音が大きく聞こえる。別に気づかれたって構わないけど、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。せっかく一緒にいるんだからもっと話したい。次の約束を取り付けたい。頭の中ではいろいろ考えているのに、マンションの前につくまで何も言えなかった。
「じゃあ……」
帰ろうとする神々廻をじっと見上げる。
「えっと……上がっていかない?」
「…………やめとく」
「ちょっと迷った?」
「迷ってへん」
神々廻は、また連絡すると言って帰った。