ポイズン・キス07
JCCに入学した生徒のうち九割が、辞めるか死ぬかのどちらかだと言われている。ほんの一カ月前までは、私たちの代は優秀なんじゃないかと思っていた。
今月に入ってまだ一週間も経っていないというのに、もう四人目だ。前回は知らない人だったけど、今回は同じ毒殺科の子だった。死にかけて嫌になったのだと言っていた。
敷地から出ていく彼女を見送った。もうこの世界からは足を洗うらしい。これから先、二度と会うこともないのだろう。
彼女は私よりも優秀だった。私は殺し屋のライセンス目当てじゃなくて、ただ毒の知識を深めるためにここにいる。彼女と比べたら覚悟も経験も何もかもちっぽけだ。それなのに、ここに残ったのは私のほうだった。
友達が辞めたからって、私も一緒に辞めたいと思っているわけじゃない。だけど今は何もやる気が起きない。寮に帰るのも面倒だった。
門に寄りかかってしばらくぼーっとしていた。やる気が出たら歩けばいい。そのうちお腹が空いて、そしたら食堂に行けばいい。
ポタポタと涙が落ちてきた。案外ショックを受けているらしい。自分のことなのに他人事みたいだった。
そんな私に気配も隠さず近づいてきたのが南雲だ。わざとらしくゆっくり歩いて、私が顔を上げるのを待っているのだろうか。
私が知らんふりを決め込んでいたら、南雲は頭を撫でてきた。そして大きな手で涙を拭われる。なんだかよくわからなかったけど、私は雰囲気に酔って南雲に抱き着いていた。
顔に似合わずがっしりとした体格をしている。あの南雲に抱き着いているというのに、私の胸が高鳴ることはなかった。どちらかといえば大声を上げて泣きたい気分だった。
「えーっと、僕からも抱きしめ返していい?」
「いちいちそんなこと聞かないでよ……」
「りょうかーい」
背中と肩に腕が回る。南雲の抱擁は優しかった。私は目を閉じて、彼の心臓の音を聞いていた。落ち着くリズムだった。
「死ななかっただけマシじゃない?」
どうしてこう一言多いのか。だけどそれも私を慰めようとしてくれているんだと思えば、嫌ではなかった。
「三十人目」
南雲に抱き着いたまま、ちょっとウトウトしかけていたところで唐突に言われる。だけど意味がわからなくて私はオウム返しをした。
「三十人目?」
「僕ときみが抱き合ってるの見た人の数~」
「……なッ!」
そりゃあ人の出入りが多い場所で抱き合っていたのだから、無理もない。私は慌てて南雲から離れたが、時すでに遅しというやつだ。
「あれ、もういいの?」
「いい! ありがと!」
どうして一人目のときに言ってくれなかったのかと問い詰めたかった。でも、私からやったことだ。南雲は親切に慰めてくれただけだ。三十人目とか言ってる時点で揶揄われている気がしなくもないけど、そこは目を瞑ることにした。
抱き着いていたときは何ともなかったのに、思い返せば思い返すほど恥ずかしくなってくる。その場のノリってやつは恐ろしい。南雲は夕飯を奢ると言ってくれたけど、正気でいられる自信がなかったので断った。
そして次の日、南雲は私を見るなり大きく手を振って近づいてきた。
「おはよー、もう元気になった?」
南雲がガバッと雑に抱きしめてくる。周囲がざわついた。
「な、何してんの!」
「いちいち聞かなくていいって言われたから」
「いや、ちがう……!」
「え、だめだった?」
南雲はかわいらしい顔をこてんと傾けた。
……なんで、どうして。私が間違ってるの? 私から抱き着くのはいいけど、南雲からはダメ。言葉にしてみたら、私のほうがめちゃくちゃな要求をしているような気もする。いやいやそんなはずはない。
「とりあえず離して、あと昨日のことも忘れて!」
「でも三十二人に見られちゃったよ?」
(増えてるし……)
南雲はしぶしぶといった様子で私を解放した。その際、南雲の後ろにいた男子生徒と目が合う。彼は気まずそうな顔をして私から視線を逸らした。
「今見てたのは七人かなあ」
「何が目的!?」
「目的っていうか、好きなときに抱きしめていいのかなーって思って」
「すっ、好きなときってなに」
「んー……気分?」
もうこれはずっと平行線だなと、諦めに近い気持ちになった。例えば私から告白するくらいのことをしないと、どうにもならない気がする。質問して返ってくる答えが予想外すぎるのだ。
じゃあ告白するのか。リオンには絶対無理と言ったが、揺らいでいるところもあった。もしかしたらイケるんじゃないかと、南雲が期待させるようなことばかりするのが悪い。だって他の子を抱きしめているところなんて、見たことがないから。
だけどフラれるくらいならこのままでいたい。南雲に振り回されて私はすごく迷惑しているけど、その日常がなくなるのは怖かった。
「……昨日はごめん。私がおかしくなってただけだから、昨日のことはナシにしてほしい」
「おかしくないよ。友達がここ辞めて落ち込んでて、慰めてほしかったんでしょ?」
「そうなんだけど……おかしいのはそこじゃなくて、いきなり抱きついちゃったから」
「でもなんかそういう雰囲気だったよね~」
「……まあ、」
南雲と初めて意見が一致したような気がした。つまり二人とも雰囲気に酔っていたということだ。さすがに人目も気になってきたから、この話もそろそろ終わりにしたい。
「今はそういう雰囲気じゃないってことで、とりあえず教室行こうよ」
私が歩き始めようとすると、腕をガシッと掴まれた。南雲はいつものへらっとした表情じゃなくて、ちょっとかっこいい顔して真っ直ぐ私のことを見つめている。
意味がわからなかった。何なら告白されるんじゃないかとちょっぴり期待した。後から思い返すだけで恥ずかしくなるから、このときの記憶は消してしまいたいほどだ。
「こんな感じ?」
そう言った南雲はもういつも通りの顔だった。ニコ―っと笑いながら、私の腕を引き寄せる。
「……は?」
「今いい雰囲気だったでしょ? 抱きしめていい?」
「ダメに決まってる!」
私は思い切り腕を振り払った。そして南雲の手はあっさりと離れる。南雲が本気だったら私の力くらいじゃビクともしないだろうから、つまりはそういうことだ。
私は教室まで一目散に走った。教室は別だから、南雲が追いかけてくることはない。ひと悶着あったせいで授業開始ギリギリの時間だった。先生が教室に入ってきてもなお、私の心臓は大きな音を立てている。非情に迷惑な話だ。
その日私は校内でリオンを探した。食堂で粘ったけど会えなくて、女子寮の入り口で携帯片手に三十分待った。すれ違う生徒にリオンを見なかったかと聞いた。そうして私が探しているという情報を得たらしいリオンは、夕焼けを背に私の前に現れた。
「探してたって?」
「聞きたいことがあって……あの、暗殺科ってハニートラップの課題とかある?」
真面目に質問したのに、言った瞬間リオンは吹き出した。続いて大笑いである。
「……なに、南雲のこと言ってんの?」
リオンはまだ笑い足りないという様子だった。不満が顔に出ていたのか、マニキュアの塗られた指で頬をツンとつつかれる。
「んな深く考える必要ねーって」
「普通に考えて南雲くん私に構いすぎだよね!? リオンちゃんから見てどう!?」
「なーんも間違ってない。押せば倒れる」
リオンに背中を押されて私もその気になってくる。しかしふと、前にリオンが言っていたことを思い出した。あのときは意味がわからなかったけど、よくよく考えてみれば恐ろしいことを言っていたような気がしてくる。
「……でもこの前リオンちゃん『自覚してんのか怪しい』って言ってたよね」
「アー……まあ、二割くらいありえそーっつーか」
やっぱり無理かもしれない。怖気づいた私にリオンは「押せば自覚する」と言った。確かに可能性としてはあるんだろうけど、私にとってはリスクが大きすぎた。
「付き合ってるって噂、最初は友達だって答えてたのがいつの間にか『内緒』って、わかりやすいよなあ?」
「えっ、南雲くんそんなこと言ってるの?」
リオンはにやりと笑う。
「決めた、私……告白する!」
こうしてまんまとリオンに乗せられた私は、そう宣言するのだった。