前世の記憶を思い出したら殺せなくなって、南雲に目を付けられる話04
今まで掛けたお金を全額返せ、というのが父からの条件だった。
金額を計算するからと電話を切られ、一時間もしないうちにメールが送られてくる。そこにはJCCの学費や今までの訓練にかかった費用合わせて800万円と記載されていた。正直、このくらいのことは言われるだろうと予想していたので驚きはない。むしろ800万でいいんだと思ってしまった私の感覚もかなり麻痺している。本当はもっとお金がかかっているはずだ。それでも800万としたのは、殺し屋になればすぐにでも返済できる金額だという父からのメッセージなのだろう。もちろん人を殺す気なんてないし、800万だってちゃんと返済してやる。条件を飲むと私は父に返信した。
さっそく私は学生課へ向かい、退学の手続きを済ませることにした。先に父のほうから動いていたらしく、私の申し出はすぐに受領され今日のうちにJCCを去ることになった。
一度寮に戻り、荷物の整理をする。とは言っても、部屋の中にあるのはほとんど殺しに関するものばかりで、これからの私には必要ないものだった。
(……あ)
カップラーメンが入っている袋をひっくり返すと、中からポッキーが出てきた。てっきり南雲が持って帰っていたのだと思っていたから驚いた。私は残っていたカップ麺とポッキー、それから財布をリュックに詰めた。帰りのヘリの時間まであと三十分。ちらっと南雲の顔が浮かんだけど、私はどうすることもしなかった。
ヘリの中から見るJCCはとても小さく見えた。膝の上に乗せたリュックをぎゅっと抱きしめる。挨拶くらいはすればよかったかもしれないと、ぼんやり考えた。
久しぶりに返ってきた家のドアを開けると、待ち構えていたように父が立っていた。奥の柱の影から母が覗いているのも見える。
「どのツラ下げて帰ってきた」
「返済が終わるまで、ここに住ませてください」
「お前にはプライドがないのか?」
「そのほうが早くお金を返せますし、家事は全部やりますからお願いします」
「……ッチ。つまらん」
頭を下げて、父親から見えないように唇を噛みしめる。私だってこんなところに戻ってきたくなかった。だけど私には家を借りられるお金も信用もないし、そうなってくれば仕事を探すことさえ難しくなる。だから我慢するしかなかった。数年もすればこいつらとの縁も切れる。昔、私の部屋だった場所には布団の一枚さえも残っていなかった。
それから私はバイトに明け暮れた。掛け持ちしたバイトの合い間に家に戻ってあいつらの食事を作り、またバイトに戻って……という繰り返しだ。両親は私が時間通りに食事を出さないと怒鳴りつけてくるし、食費も渡さないくせに品数が少ないと文句を言う。味が薄いとか濃いとかその日によって言うことが違うのだから、ただの嫌がらせでしかない。
そんな生活を続けていたせいで体調を何度も崩した。でも、病院に行くお金も休んでいる暇もなかった。どうしても辛いときには部屋で隠れてポッキーを食べた。あのときのことを思い出すと辛くなる。こんなことになるなら思い出なんていらなかった。
***
心を無にして働き続けていたら、いつの間にか四年の月日が流れていた。だけど今日、返済が終わる。
小雨の降る日だった。お金を入れた封筒が濡れないようにパーカーの中に隠して家まで走った。これでようやくこの家ともおさらばだ。しかし父はいつも通り封筒を受け取るだけだった。念のために「今までお世話になりました」と言った。
「何を言ってる?」
嫌な予感がした。
「まさか無利子だと思っていたのか?」
頭がクラクラする。
「え……でも、」
「そんな甘い話があるわけないだろう」
「……いくらですか?」
「800万」
ああ、なんだ。そっか。この人、最初から私を解放する気なんてなかったんだ。馬鹿だなあ。なんで気づかなかったんだろう。
「それより飯の準備はできてるのか?」
「ああ、はい……」
頭が真っ白になったまま私は外へ出た。逃げたとわかったら、追いかけてくるだろうか。もし捕まったとして、私を殺しても一円にもならないだろうから……でも、それより酷いことをされるかもしれない。
雨が強くなってきた。傘を買うお金もない私はずぶ濡れになりながら歩き続けた。行く当てなんてないけど、一歩でもいいから家から離れたかったのだ。
私は殺しの世界とは距離を置いたけど、殺しの世界は常に私の近くに存在し続けた。今もすぐ隣で、殺し屋同士の争いが繰り広げられている。
私から見ても力の差は歴然だった。よくある光景だけど、いつも私は理由もなく弱いほうに肩入れしていた。
(あ、死んだ)
生き延びたほうの殺し屋は一瞬にして姿を消した。死んだ男が持っていた銃が転がってきて、私の靴のつま先にコツンとぶつかる。
気づいたら私は手を伸ばしていた。なんとなくだった。言ってしまえばそこに銃があったから。間違いなく私はこれの使い方を知っている。
「あは……はははは!」
これが笑わずにいられるだろうか。だって手が震えないんだもの! なんで今になって! 包丁さえまともに持てなくて、料理するのもすっごく苦労したのに!
殺すという選択肢が私の中に生まれた気がした。許された行為じゃない。私は免許を持ってない。そんなことしたら罰を受けなければならない。……でも、殺せる。
そのときふと、雨が止んだ。だけどザーザーという音は鳴り続けている。
「風邪ひくよ」
「……え?」
南雲くんが、あのときと同じ笑顔で私に傘を差し伸べてくれている。
(なんだ、夢か)
だって南雲くん、四年も経ってるのに全然変わらないんだもん。
(そっか、夢だから銃が持てたんだ)
やっぱり人を殺すなんて私にできるわけない。よかった。JCCを辞めたのは間違いじゃなかったんだ。
「南雲くん」
私は南雲くんに倒れ込むように抱きついた。夢の中の南雲くんは私の記憶よりも優しくて、雨でべしょべしょになった私を文句の一つも言わず抱きしめ返してくれた。
あのね、笑っちゃうかもしれないけどさ、私ずっとあなたを心の支えにして生きてたんだよ。おかしいよね、ちょっとしか喋ったことなかったのにね。
夢から覚めたら、きっと最後の返済をするんだ。意識しすぎて変な夢を見ちゃったのかもしれない。利子が800万なんて、あるわけないもん。あともう少しで、自由になれるんだ……。
握っていたままの銃が地面に落ちる。雨が酷いせいで音は聞こえなかった。
「会いたいよ、南雲くん」
私の言葉に応えるように、南雲くんは抱きしめる力をぎゅっと強くしてくれた。