前世の記憶を思い出したら殺せなくなって、南雲に目を付けられる話06
南雲に手を握られたまま、時間が止まったみたいに私たちは見つめ合っていた。さすがに恥ずかしくなってやんわり手を引くと、するりと彼の手の中から抜け出すことができた。
それで、なんだっけ。私の父と話をつけたって……。
「南雲くんがお金を払ってくれたってことですか?」
南雲は頷いているのかわからないような、微妙な動きをした。
あいつらのことだから、タダで私を手放すようなことはしないだろう。南雲にメリットがあるかは一度置いておいて、彼が私の借金を肩代わりしたとしか考えられない。まあ、全部ウソってのもあるかもしれないけど。
「いくら払ったんですか?」
「君も知っての通り、800万だよ」
……怪しいな。私を一生コキ使おうとしていた人たちが800万で納得するだろうか。
「もっと吹っかけられませんでした? 毎日の家事を金額に換算すると……とか言われて」
「言われたけど、話したらわかってもらえたよ」
「そんな話がわかるような人じゃ……あ、もしかして脅しました?」
「あは、ばれちゃった~。ごめんね君の家族なのに」
ちっとも悪びれてない様子で南雲が言う。
「別に……全然、家族とか思ってないので」
「そっか」
南雲は相変わらず笑みを浮かべているけど、彼の纏う雰囲気がスッと冷たくなった。
「勝手にいなくなったらだめだからね。外出はしてもいいけど、ちゃんとここに帰ってきて」
「……私はここで何をすればいいんですか?」
「別に何も。まあ強いて言うならゆっくり休んで元気になってほしいかな」
「そんなの――」
私に得しかない。言いかけたところで南雲が遮るように口を開く。
「恨んでいいよ僕のこと。君をお金で買ったんだから」
「なんでそんな言い方するんですか」
まるで南雲が進んで悪者にでもなっているみたいだ。南雲は私の問いに答えることなく背を向けた。
「僕、これでも怒ってるんだからね」
「……どうして」
「勝手にいなくなったから」
「それって……」
思い当たるのはJCCのことしかなかった。だけど勝手にいなくなったと言われるほどのことをしたつもりはない。確かに別れの挨拶はしなかったけど、退学すること自体は伝えていたし、わざわざ会いに行くような仲ではないと思ったのだ。でも、行ってよかったのなら行けばよかった。私には話し相手が南雲しかいなかったけど、南雲に友達がたくさんいるのを目の当たりにして、意地になってしまった。しかも南雲に伝えていた予定より早く退学したから、それも怒る原因になったのかもしれない。あのとき、というか今も南雲が何を考えているのかよくわからないけど、私が思っていたより気にかけてくれていたんだろうか。
「まあ僕には関係なかったのかもしれないけどさー」
「そんなことない……ごめんなさい。本当は最後に話したかった。ずっと心残りだった」
「あーあ。こんなことになるならもっと早くさらいに行けばよかった」
南雲の大きな背中が小さく見えた。本当に、本気でそう思ってくれてるの? 信じるにしたって根拠がなさすぎる。
南雲はぐしゃりと髪をかき上げて、部屋を出て行った。私は……どうしよう。部屋にはいくつかドアがあるけど、勝手に開けていいものなのかわからない。
とりあえず、窓から外を見てみることにした。どうやらここはマンションの高層階のようだ。辺りに見覚えのある建物はなく、私の実家からはある程度距離があるのだろう。
先ほど南雲が出て行ったドアをノックして声をかけてみる。
「南雲くん。外、歩いてきてもいいですか?」
するとドアが開いてひょっこりと南雲が顔を出す。さっき怒っていると言った割には普通だ。目をぱっちり開いて、
「僕もついて行っていい?」
と言う。忙しいなら無理について来てもらわなくていいけど、私が逃げ出さないか疑っているだけなのかもしれない。私としてはここ以外に行く当てなどないのだから、ちゃんと戻ってくるつもりだ。というか、南雲の話をすんなり受け入れている自分にもびっくりする。騙されているのかもしれない。でも、前の生活に戻るくらいなら南雲に騙されたほうがマシだと思ってしまう。
「悩んでる? 一人がいいならそれでもいいよ。帰ってこなくても絶対連れ戻すから」
「……門限とかあるんですか?」
「いや、特には」
「何をもって帰ってこなかったと判断されるんでしょうか」
「そのときになんないとわかんないなー」
「……南雲さんが迷惑でなければ、ついてきてほしいです」
「全然迷惑なんかじゃないよ~。待ってて、上着取ってくるから」
南雲は私にぴったりのサイズの上着を持ってきた。上着を渡されたところで、今着ている服が私の物でないことに気づく。着替えさせてくれたのは……南雲としか考えられない。
(いや、別にいいんだけど)
昨日の私はびしょ濡れだったし、こんな貧相な身体を見たって南雲は何も思わないだろうし。いちいち言うほうが恥ずかしい気がして私は無言で上着を羽織った。
家から一番近いコンビニとか、駅への行き方とか、南雲は私が思っていたよりちゃんと道案内をしてくれた。昨日の雨の影響でところどころ残る水たまりを避けながら歩いていく。私でもゆっくりだと思うペースだったから、南雲にとってはかなり遅かったんじゃないだろうか。
「すごく今さらですけど、南雲くんは殺し屋なんですか?」
「そうだよ~、軽蔑した?」
「……そんなことはないです」
「でも、君にとって殺しはいけないことなんでしょ?」
南雲はけろっとした顔で言った。
しまった、話題を間違えたかもしれない。
「そうですけど、他の人に押し付ける気はないんです」
何を言っても言い訳じみている気がした。別に南雲が殺し屋でもそうじゃなくてもよかった。ただちょっと聞いてみただけで、殺しは悪だと責めるつもりなんてない。この世界で異端なのは私のほうなのだと自分でわかっているつもりだ。
南雲は納得していなさそうな顔で「ふーん」と小石を蹴飛ばす。
「今日は仕事休みなんですか?」
「そうだよ。ほら、せっかく君と再会できたしね」
満面の笑みだった。実は裏とか何もなくて、ただ純粋に私を助けてくれたんだって信じてしまいそうになる。
自分ばかりが意地を張っている気がした。だから少し素直になろうと思った。
「また会えて嬉しいです」
「……え?」
南雲はぽかんとした顔で立ち止まった。……うわ、余計なこと言ったかもしれない。でも私を騙すつもりならこういう反応のほうが好都合じゃないのかな。
「あー……ウン、僕も嬉しいよ」
南雲は両手をポケットに突っ込んで、スタスタと歩き始めた。さっきよりペースが速いせいで距離が開いていく。小走りで追いかけようとしたけど、足がもつれて転びそうになってしまった。
「……っと、」
南雲に抱きとめられたおかげで倒れずにすんだ。……これ、夢で見た光景と似ている気がする。
(あれ?)
本当に夢だっけ。南雲は私が雨の中倒れていたと言ったけど、本当に?
優しく抱きしめてくれる腕の感触を私は知っている。初めての感覚じゃない。なんで夢だって決めつけちゃってたんだろう。
「ごめん、速かったね」
耳元で声をかけられて、慌てて南雲から離れる。さっきまで普通に会話できていたのに、今はもう無理だ。恥ずかしい。南雲はなかったことにしてくれたのかもしれないけど、それもそれで喜んでいいのかわからない。
(……なんで何も言ってくれないの)
「大丈夫? どこか捻った?」
「……大丈夫です。ただちょっと疲れちゃって」
「いっぱい歩いたもんね~。そろそろ帰ろっか」
「はい……」
昨日のこと、思い出したって言ってみたかった。でもそれで「夢でも見てたんじゃない?」って言われるのが怖かった。せっかく素直になろうって決めたのに。
自分でも頭の中がぐちゃぐちゃになっているのがわかる。南雲の言う通り、しばらくゆっくりしていたら元の私に戻れるだろうか。
(元の私ってなんだろ……)
いっそ前世の記憶ごとなくなってしまえば、全部うまくいく気がした。