人魚は魔女に恋をする
氷が溶けて薄くなったミックスジュースをちびりと飲む。全部飲んでしまったらきっと解散だ。このささやかな抵抗がアズールにバレていないことを願いたい。
「ねえ、学校でカフェやるってどうしたらそんなことになるの?」
「期末テストのおかげです」
アズールはにこりと笑った。だが、ちっとも意味がわからない。詳しく教えてほしいと言っても「学園長と取引しました」としか答えてくれなかった。これ以上聞くなと言われているような気がして、仕方なく話題を変える。
「カフェのメニューは決まった?」
「サンドイッチはいいんじゃないかと思いました。テイクアウトにもできそうですし。ただ、購買でもパンは売っているので具材を工夫しなければなりませんね」
「そっかあ」
アズールの調理姿を想像してふふっと笑う。エプロンを着けてナイフを持った想像上の彼はかっこいい。あんまり料理上手なイメージはないが、よく考えるとアズールの実家はリストランテだ。もしかしたら料理なんてお手の物で、味にも結構うるさいのかもしれない。
「何ですか、一人で笑って……」
じとりと目を細めたアズールに「ごめん」と謝った。
ねばりにねばったミックスジュースもほとんど水になってしまった。さすがにこれ以上引き延ばす方法を思いつかなくて、アズールが席を立つのを待つことにする。もう少し一緒にいたいと言ったら彼はどんな顔をするのだろう。喜ぶ姿は想像できない。照れてくれたら大成功。だが、そんな大胆なことを言えるわけもなかった。こんなことなら友人にどうやって彼氏と距離を縮めたのか聞いておけばよかったと後悔する。
「どうしました?」
「……えっ」
「笑っていたかと思えば急に静かになって、今度はソワソワと落ち着きがない」
「そう、かなあ……」
はは、と笑ってみたけど誤魔化せる気がしない。「悩みがあるなら相談に乗りますよ」と言うアズールは完全に商売人の顔をしている。わかっていたけど、わからない振りをした。
「……残りのホリデーどうしようかなって。悩みじゃないかもしれないけど」
「贅沢な悩みですね」
取引にならないと判断したのかアズールが伝票を握る。必要経費ということで支払いはアズールが多めに持ってくれた。
カフェを出ると、ちょうど向かいの店のクリスマスの飾り付けが目に入ってくる。去年はケーキを一人分買って、家族に電話をした。また今年も同じかなあと思う反面、彼との時間を望んでしまう自分もいる。予定を聞いたらあからさますぎるだろうか。もしアズールにクリスマスの予定を聞かれでもしたら舞い上がってしまう。それが答えだった。
駅までの道を歩くだけでも町はクリスマス一色だった。サンタクロースの飾りやイルミネーション、クリスマスケーキのポスターが町中を埋め尽くしている。行き道では自分の服装が変じゃないかとか、急ぐことばかりを考えていて気付かなかったのだ。
「年越しは寮で?」
「そうですね。ジェイドもフロイドも毎日のように顔を合わせていますし、全く新鮮味もありません。地味に過ごしますよ」
「……クリスマスは?」
年越しをクッションにしたからといって、クリスマスの単語で緊張しなくなるなんてことはなかった。むしろ順序的には不自然だったかもしれない。アズールの横顔をちらりと見たけれど、ちょうど眼鏡のフチに隠れてよく見えなかった。
「……特に。ジーナさんは?」
「私もべつに。ケーキは食べたい」
「そうですか」
「うん……」
妙な間が流れる。いっそアズールがクリスマスを忙しく過ごすと言ってくれたほうがまだ諦めがついた。アズールを誘ったとして、忙しくもないのに断られてしまうって、きっともう立ち直れない。
「アズールくん、カフェのメニューにケーキは考えてないの?」
「考えていますよ。チーズケーキぐらいだったらそこまで手間もかかりませんし」
「……アズールくんが作ったの、食べてみたい。代金は払うので。……配達料込みで」
「クリスマスケーキじゃなくていいんですか?」
「うん。ケーキだったら何でもいい」
何を言ってるんだろう。「会いたい」を誤魔化して言ったつもりなのに、どんどん迷子になってしまう。つ、と背中に汗が流れた。寒いからって厚着しすぎたかもしれない。
アズールは承諾も拒否もしなかった。彼の足が止まり、駅に着いたのだと理解する。
「ずいぶんと回りくどいですね」
「えっ、あ……」
やっぱりアズールは気付いていたのだ。返事を聞きたいのより、恥ずかしいが勝ってしまう。何か言おうとして、出てきたのは謝罪だった。
「……ごめんなさい」
「いえ……本当なら僕が言えばよかったんでしょうけど」
「え……?」
そんなことを言われたら期待してしまう。早く続きが聞きたくて、息をするのも忘れてしまった。
「ケーキはジーナさんの家で作ります。それでいいですね?」
「そ、それでいいです!」
「……あなた本当にわかりやすいですね」
アズールは眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。指の間から赤くなった頬が見えている。ジーナはそれだけで満たされる気がした。
***
ジーナを見送ったアズールはひとりため息をついた。彼女がずっと挙動不審なのは気付いていた。顔を真っ赤にして「クリスマス」と言ったとき、確かに可愛いと思ったのだ。
彼女が何を言いたいかわかっていたが、黙っていた。前みたいに仕返しをしたかったわけじゃない。本当に何も言えなかったのだ。ペースを乱されるのは嫌なはずなのに、契約書にサインもしない彼女と過ごすのを苦でないと感じてしまう。駅まで少し遠回りしたのに、たぶん彼女は気付いていない。
「デートは上手くいきましたか?」
寮に戻るとジェイドが真っ先に話しかけてきた。フロイドは特に興味がないようで、メニューの試作品作りに励んでいる。集中しているところを邪魔してしまうと取り返しのつかないことになってしまうため、アズールは小声で言った。
「……ずいぶん楽しそうですね」
「ええ。まあ、顔を見れば大体は想像がつきますけど」
そんなに浮かれた顔をしていただろうか。急に駅前でのことを思い出してしまって、思わず口を手で覆う。「おや」とジェイドが目を丸めた。
「本当に上手くいったようですね。よかったです」
「……本当に思ってるのか?」
「これでも心配していたんですよ。アズールは肝心なところで意気地がないですから」
「お前は本当に一言多いな」
ふふ、とジェイドはいつもの調子で笑う。本当にやっかいな男だ。
しかし、ジェイドの言うことは本当だった。幼いころからの情けなさがいつまでも抜けきれない。彼女にそれを露呈してしまうのが恐ろしかった。けれど同時に知ってほしいとも思う。もし、彼女が受け入れてくれたらと想像してしまうのだ。