7話
せっかくトレイさんに頼んで人間の姿にしてもらったのに、私は一言も喋らないまま猫の姿に戻ってしまった。トレイさんはいつも通りの優しい笑顔で「帰ろうか」と言う。
オンボロ寮の前までトレイさんは送ってくれた。ありがとうと言うつもりで鳴いたら、どういたしましてと返ってくる。涙が出そうだった。
自分のベッドで横になっても人間に戻る気配はない。目を閉じると、トレイさんの顔が浮かんでくる。
……よく、わからない。トレイさんは優しいから来てくれたんだろうか。そうじゃなければいいと思う。聞きたいけど、聞けなかった。撫でてもらった感触が頭から離れない。もしあのときトレイさんが魔法を使っていたら、私はもうダメになってしまっていたと思う。
トレイさんのことだけでも頭がどうかなりそうなのに、もう一つの問題が押し寄せてくる。私は魔法とどう向き合えばいいのだろう。
私は知らない場所に呼び寄せられたと思っていたけれど、本当にそうなんだろうか。猫になったのだって自分のせいだった。例えば私がワープみたいな魔法でここに来てしまったとか、考えてしまうのだ。
「それはないですね」
ユウくんに頼んで学園長さんに伝えてもらっての答えがこれだ。ばっさりと切り捨てられてしまった。学園長さんが言うには、学園がそんなに甘いセキュリティでやっていけるわけがないと。確かにそう言われてみるとそんな気がしてくる。私が卒業生に召喚されたという見解は、学園長さんの中で揺るがないようだ。
「しかし気になるのは、そんなにも魔法を使い続けて無事でいられる貴女です」
魔法を使えばブロットという不純物が排出されるそうだ。それが積もりに積もると、暴走してしまうらしい。精神状態が悪かったり、疲労が溜まっていたりするのもその原因となるそうだ。
「今回、貴女が魔法を使っていると自覚したことが影響するかもしれませんので、これを」
学園長さんはネックレス……というより首輪のようなものを差し出した。みんなが持っているマジカルペンと同じような宝石があしらわれている。グリムちゃんの首飾りにそっくりだ。人間になったら首が締まりそうなサイズだけど、そこは魔法の素材でできているため心配ないらしい。
「ブロットが溜まると魔石が濁って見えます。その場合は魔法を控えていただきたいのですが、まあ無理でしょうしせめて十分な休息を」
「ニャー」
「ありがとうございます、だそうです」
「いいえ。私、優しいので」
学園長さんが仮面の奥でにこりと笑う。もう一度お礼を言って、寮に帰ることにした。
そういえばグリムちゃんはどこに行ったのだろう。いつもユウくんと一緒にいるイメージだったけど、別行動することも珍しくないんだろうか。
「グリムは何か用事があるって。本当は一緒に行った方がいいんだけど、ついてくるなって言われちゃって」
ユウくんは一応グリムちゃんの監督役ということで、なるべく一緒にいるようにしているそうだ。でも、さっき学園長さんも何も言わなかったし、そこまで厳格なルールというわけでもないのだろう。
「もう明日は期末テストだって言うのに、何やってるんだろう」
「ニャ!」
期末テスト。その響きにお腹がキュッと痛くなる。テストを受けた記憶はないけれど、きっと体が覚えていたのだろう。……それより、そんな忙しい時期にユウくんを付き合わせてしまって申し訳なくなる。
「ああ、僕は大丈夫……ってほどでもないけど、勉強はしてるから。でもグリムがなあ……」
何度か勉強するように言ったけど、聞いてくれなかった。そう言ったユウくんの横顔は哀愁に溢れていた。二人で一人の生徒っていうのも、なかなか大変みたいだ。
その夜、寮に帰ってきたグリムちゃんは急に勉強を始めた。
「一夜漬けで頑張るぐらいなら、前々から準備しておきなよ」
「へん! オレ様にかかればこんなの、一晩で余裕なんだゾ!」
「……僕はもう寝るよ」
はあ、とユウくんがため息をつく。私も部屋に戻って眠ることにした。
一夜漬けのわりには、テストが終わった後のグリムちゃんは機嫌がよさそうだった。ヤマが当たったのか、実はすごく成績がいいのか。今日はテストの返却日だと浮かれている。ユウくんは呆れたような目でグリムちゃんを見ていた。
ユウくんたちを見送って、私も散歩に出掛ける。学園長さんが言っていたブロットが溜まらないように気をつけているつもりだ。と言っても、今のところ魔石に曇りはない。今までもこんな呑気な生活だったから平気だったのだろう。猫の私は、食べるか寝るかしかすることがなかったのだ。
校内を歩いていると「何でも願いを叶えてくれるアズールくん」という人の噂を聞いた。契約とか、担保とか難しそうな話もあるけど、興味はある。もしかしたら私の悩みも解決してくれるかもしれない。でも、そんなうまい話ないんだろうなあと思ってしまう自分もいる。
さらに歩いていると、トレイさんの姿を見つけた。最近よくトレイさんに会うような気がしていたけれど、たぶん無意識に私が探してしまっているだけだ。本人には絶対言えないけれど。
この前のこともあって、トレイさんにはちょっと声を掛けづらい。でも、このまま帰るのももったいない気がする。それに、トレイさんもいつもより元気がないように見えた。
「ニャー」
「ああ、モカか」
やっぱり気のせいじゃない。声を聞いて確信した。
「ニャ?」
「ん……? ああ、今日は期末テストの返却だったんだ」
点数が思わしくなかったのだろうか。トレイさんはそんなにテストで苦労するようなタイプには見えないけれど……。
「思った通りの出来栄えだったんだがな、今回のテスト、妙に平均点が高かったんだよ」
出来は悪くなかったけど、校内の順位がガクンと下がってしまったそうだ。
「帰ったらリドルに小言を言われそうだ」
原因はそれか、と納得する。リドルくんはそういったことに厳しいらしい。しかも本人は全教科満点。文句の言いようがない。
「……綺麗だな」
「……!?」
トレイさんの手が伸びてきて、動けなくなる。トレイさんは私の首の魔石に触れた。……魔石のことか。いや、でもみんなだって同じようなの持ってるし、おかしい。からかわれたのだ。トレイさんはたぶん、私の好意に気付いている。それでこんなことをしてくるんだから、期待してしまうのは当然だ。トレイさんは優しいけど、ずるい。
魔石に触れるトレイさんの指に、おでこを擦り付けてやった。トレイさんは目を丸くしている。
「ニャアン」
どうせわからないんだから、好きだと言ってみた。でも、言ってしまった私も案外ダメージを受けているみたいで、体中が熱くなってくる。猫の顔って赤くなるんだろうか。逃げるようにその場を離れてから気付く。せっかくトレイさんに会えたんだから、人間の姿にしてもらってアズールくんのことを聞けばよかった。なんて馬鹿なんだ。ユウくんが知っているならいいけれど……。
寮に戻ると、中にいたのはユウくんとジャックくんだった。グリムちゃんは見当たらない。また別行動なんだろうか。
「あ、おかえりモカ。実は今、大変なことになってるんだ」
「ニャア?」
「グリムがね、あとエースとデュースもなんだけど、オクタヴィネル寮のアズール先輩と契約しちゃって……」
アズールくん。私も気になっていた人なので、ドキリとしてしまう。けど、思っていたより事態は深刻みたいだ。三人はアズールくんと契約してテスト対策ノートをもらった。けれど契約の条件であるテスト順位50位以内に入れなくて、アズールくんの下僕になってしまった。魔法もアズールくんに取り上げられてしまっているらしい。しかもユウくんたちが見てきたところ、下僕となったのはざっと200人以上。最初から上位50位以内に入らせる気なんてなかったということだ。何でも願いを叶えてくれるっいうのも、そんなに都合のいい話じゃなかったってわけだ。。
「それでまた学園長にどうにかするよう言われて……今ジャックと話してたところ」
「ああ、まずは情報収集。狩りの基本だ」
グルル、とジャックくんは喉を鳴らした。明日からユウくんはジャックくんと行動するみたいだ。
翌日、私も校内を歩き回って気付いたのは、頭にイソギンチャクみたいなものをつけた生徒の多いこと。ユウくんが言うには、これがアズールくんとの契約に負けた印らしい。もちろん、リドルくんやジャックくんのように真面目にテストに挑んだ人も少なからずいる。でも、見た限り本当にイソギンチャクだらけなのだ。
いつものように窓からオンボロ寮の中に入ろうとして、足が止まる。中に知らない男の人が二人。見た目そっくりの彼らは、私に気付くとものすごい勢いで距離を詰めてきた。……怖い。
「あれー? 猫が入ってきたよジェイド」
「待ってくださいフロイド。確かこの猫……」
まじまじと顔を見られる。何なんだろう、この威圧感。ユウくんとグリムちゃんはどこに行っちゃったんだろう。中にはいないような気がする。とにかくこの二人から逃げた方がいい。そう思って窓から飛び降りようとしたのだが――。
「逃がさないよぉ」
脇腹をぎゅうと掴まれて動けなくなる。あまりの恐怖に声も出なかった。