8話
「あなたは二年前、オクタヴィネル寮生に召喚された猫のモカさんで間違いないですね?」
まさかアズールくんとこんな形で会うことになるなんて。私はジェイドくんとフロイドくんという双子の男の子に連れられて、アズールくんが経営するカフェ「モストロ・ラウンジ」に来ていた。ちょうどエースくんやデュースくんが働いていたみたいで「モカ」と名前を呼ばれる。こき使われている二人には悪いけど、ちょっと心強かった。
アズールくんの言葉にこくこくと頷いて返事をする。私が人間だということは知っているみたいだった。
「ニャー」
「……何を言っているのかわかりませんね」
「あれぇ? アズール、動物言語は完璧じゃなかったー?」
「モカさんのは言語にすらなっていません。ただニャーニャーと感情のまま鳴いているだけです」
「ニャッ!?」
「……今のは何となく、わかりましたけどね」
猫になったからと言って猫語が喋れるようになるわけじゃないみたいだ。それはそれでユウくんに言葉が通じるのが不思議だけど。ジェイドくんたちは私がアズールくんと話せると思って連れてきたみたいだった。どうしてだろう。
「まあ、こちらの言葉は通じているようなので構いません。僕は今、ユウさんと契約しています」
「?」
「下僕になった生徒を解放してほしいと言うので、交換条件を提示しました。それまでの間、オンボロ寮は担保として僕たちオクタヴィネル寮が差し押さえています」
期限は三日。つまりそれまで寮に出入りするなと言いたいのだろう。私は構わないけど、ユウくんは……。もし寮を取り上げられたりなんてしたら、どこか別の寮に入れてもらえるのだろうか。
「おい。じゃあモカに野宿しろって言うのか?」
エースくんが空になったグラスを片付けながら声を上げる。
「下僕は黙って働いてください。それにこの条件を飲んだのはユウさんですよ?」
「……ぐ」
「僕からは以上です。モカさんも、次回は是非お客様として来てくださいね」
喋れないの、わかってるくせに。……と思ったけど、ハッとする。私がお客様になればいいんだって。交換条件に何を提示されるのかは怖いけど、聞くだけ聞いてみたい。でも、それでサインしなかったらものすごく嫌な顔をされるんろうなあと思う。
そうと決まれば人間の姿にならなければいけない。できればリドルくんの魔法で。でも、リドルくんってどこに行けば会えるんだろう。
「ニャ」
私はテーブルを拭くデュースくんの足を叩いた。「モカさん?」デュースくんは手を止めて首をかしげる。
「オフ・ウィズ・ユアヘッド」の真似のつもりでリドルくんみたいに手を振る。デュースくんはさらに首をかしげてしまった。
「何やってんだよ」
「いや、モカさんが何か言いたいみたいで」
「ユウのとこ行くか? それかトレイ先輩か、寮長……」
「寮長」のところで私はエースくんの靴を叩いて鳴いた。
「え、まさかリドル寮長のとこ行きたいの?」
うん、と頷くとエースくんたちは顔を見合わせた。
「そこ、手が止まってますよ」
いつのまにか背後に立っていたジェイドくんがにこりと笑う。笑っているけど怖い。すぐに連れて行ってもらうことはできなさそうだ。
二人が解放されるまで私は店の外で待つことにした。その間にもたくさんの生徒がカフェに入店している。アズールくんのやり方はちょっと卑怯なのかもしれないけど、その効果は認められているのだろう。
「おーっす、お待たせ」
「遅くなってすみません」
「ニャア」
二人はぐったりとしていた。おつかれさま、と伝わらないけど言っておく。
二人はリドルくんにハーツラビュル寮の外に出てきてほしいと伝えてくれたみたいだ。
「それで、どうしたんだい? キミたちから呼び出すなんて珍しいじゃないか」
「ああ、いやオレらっていうか……モカが首をはねてほしいみたいで」
じ、とリドルくんが私を見る。
「一応、人間になったら理由を聞くけどいいかい?」
私が頷くと、リドルくんはマジカルペンを握った。ガシャ、と首に衝撃が来る。二度目だけどやっぱり慣れない。
「ありがとうございます。それで、理由なんですけど……あの、アズールくんと話がしたくて」
「……まさかキミも契約したいなんて言わないだろうね」
リドルくんが鋭い眼差しをエースくんたちに向ける。二人は苦笑いで乗り切るみたいだ。
「契約になるかわからないんですけど、私の魔法、もらってくれないかなと思って」
「……なるほど」
アズールくんは願いを叶える担保として魔法をみんなから集めている。奴隷みたいに働かせられるのは嫌だけど、魔法をもらってくれるだけなら何とかならないかと思うのだ。あわよくば召喚される前にいた場所を調べてもらいたいけれど、それはあまり期待していない。
「え、僕たちを助けようとしてくれてるんじゃないんですか?」
そう言ったのはデュースくんだ。
「……できるならそうしたいけど、私の魔法だけじゃ無理だよ。それにユウくんが頑張ってるでしょ?」
「お前、意外とそういうとこドライなんだな」
もしかしてそういう下心があってリドルくんに会わせてくれたのだろうか。だとしたら申し訳ないような気もする……けどお互い様だ。
「まあ、キミたち二人は自業自得だ。これからはせいぜい自分の力で努力することだね」
「はーい」と二人の声が重なった。
「それよりモカ、本当にアズールのところに行くのかい?」
「はい。……契約するかどうかはまだ決めてないんですけど、条件だけでも聞けないかなって」
「もし契約したくなったとしても、一度冷静になったほうがいい。落とし穴がないか、よく考えてみるのだよ」
「はい。ありがとうございます」
リドルくんに頭を下げて私はオクタヴィネル寮へ走った。一時間後に魔法を解いてもらえるようリドルくんにお願いしたのだ。そう言えばこの足で走ったのってすごく久しぶりかもしれない。足がもつれて転んでしまいそうだ。
「モカさん、大丈夫なんですかね……?」
「アイツもイソギンチャク仲間になったらトレイ先輩怖そうだな。ちょっと見てみたいかも~」
「……まったくキミたちは」
モストロ・ラウンジのドアが閉まっている。よく考えてみれば当たり前だ。エースくんとデュースくんが解放されたんだから、もう営業時間は終わってしまっているのだ。なんてマヌケなんだろう。
だめもとでドアをノックしてみる。帰ろうかと思ったところで、ゆっくり扉は開いた。出てきたのはジェイドくんだった。
「今日の営業はもう終了していますよ」
「あ……そうですよね。また明日きます」
「ちょっと待ってください」
カフェの奥からアズールくんが顔を出す。つかつかとこちらに歩いてきて、私の前で足を止めた。
「あなた、モカさんですか?」
「はい。どうしてわかるんですか?」
「魔石ですよ。それにその首を見ればリドルさんの魔法を掛けられているのだとわかりますからね」
ああ、と納得する。すっかり忘れていたけど、本当に人間になっても首が締まらない。首輪はネックレスみたいにゆったりと変形している。今はリドルくんの首輪があるから、なんとなく息苦しいけど。
「それで、なにかご用ですか?」
「あの、アズールくんのお客様になりたくて。でも、もう遅いし明日にしようかなって」
「あなたもエースさんたちを解放してほしいと?」
「……してほしいですけど、無理そうなのでそれはユウくんとジャックくんに任せます」
「……そうですか。あなたさえよければ、中にご案内しますよ」
「え、いいんですか!」
「ええ。……ジェイド、モカさんをお願いします」
ジェイドくんに案内されて私はカフェのソファに座った。さっきまであんなに人がいたのに、今は私たちだけ。静かなホールはちょっと怖かった。
「ほんとに人間だったんだね~」
「ひ、」
ソファの背もたれからぬるりとフロイドくんが顔を出してきた。顔が近くて、というより口の中に見えたギザギザの歯にびっくりしてしまう。
「フロイド、怖がらせてはいけませんよ」
「え~だってヒマなんだもん」
「でしたらモカさんに飲み物を用意してあげてください」
「ちぇ」
フロイドくんがしぶしぶと歩き出す。ジェイドくんのフォローはありがたい。でも、フロイドくんが離れてくれたことに安心してすぐに言い出せなかった。それはそれで困る、と。
「あ、あの」
「どうしましたか?」
「お金は、なくて……」
「構いません」
準備を終えたらしいアズールくんが奥から書類の束を抱えて歩いてくる。
テーブルの上には海の色みたいなジュースが置かれている。グラスのふちには果物が飾られているし、とても美味しそうだ。でも、ちっとも口をつける気になれない。いらないって言ったのに、アズールくんはこうやって私の罪悪感を煽るようなことをするのだ。
「いい契約ができること、期待していますよ」
「それで、何がお望みですか? 魔力増強薬から惚れ薬まで、何でも取り揃えていますよ」
「ほ、惚れ薬?」
「当たりましたか?」
違う、と首を振る。ちょっとだけ、本当にちょっとだけ欲しいような気もするけど、そんな隙を見せたらおしまいだ。
「そうですか。エースさんたちが言っていましたし、てっきりそうなのかと」
「な! 何て言ったんですか?」
「トレイさんを好きなんじゃないかと」
「あぁ~~……!」
あの二人を恨めしく思うのと、やっぱりバレてたっていうので頭の中が忙しい。しかもあの二人だけじゃなくて、今日初めて会ったアズールくんたちにも知られてしまった。これでトレイさんだけ気付いてないなんて絶対にありえない。気付かれているかも、というのが確信に変わってしまった。
「あなた本当にわかりやすいんですね」
「……でも、惚れ薬もらいに来たんじゃないですから」
「では、何をお望みですか?」
魔法を貰ってほしい。本当はそれだけでいいんだけど、試しに私が元いた場所を探してほしいと言ってみる。アズールくんは少しの間沈黙して「無理ですね」と答えた。最初からそうだと思っていたし期待もしていなかったけど、アズールくんの声が案外落ち込んでいるように聞こえてしまって、何て言ったらいいのかわからなくなる。
「すみません。あなたがここに召喚された原因がオクタヴィネル寮生にあるというのは聞きました」
「でもそれはアズールくんが入学する前の話で……」
「しかも二年も猫として過ごされていたとか」
「あ、あの、本当はそれなんです! 私の魔法、アズールくんが貰ってくれたらずっと人間でいられるんじゃないかなって」
「ああ、そうでしたか。もちろん構いませんよ」
アズールくんは紙束から一枚を抜き取り、テーブルの上に置いた。これにサインすればトレイさんに頼まなくても、リドルくんに首をはねてもらわなくても人間でいられる。
ペンを持つ手が震える。字を書くのが久しぶりすぎて、緊張しているのだろうか。……いや、違う。ペン先が紙に触れる寸前のところでふとリドルくんの言葉を思い出した。「冷静になって、落とし穴がないかよく考えてみるのだよ」
ペンを机に置く。すごく重たいものを持っていたみたいだ。私の手はしびれてしまっていた。
「……あの、ごめんなさい」
「どうしましたか?」
「やっぱり、契約は保留にしてもらってもいいですか」
「どうしてです? ずっと人間の姿でいられるのですよ?」
「その後のこと、全然考えてなくて……ごめんなさい」
私は今、猫だからナイトレイブンカレッジへの出入りを許されているところがある。それが人間の、しかも女だったらどうだろう。学園長さんは私を保護してくれるとは思う。けどそうなれば、学園長さんが元の場所に戻る方法を探してくれるのを待つことしかできない。元の場所に戻る方法がわかったとして、記憶もないのに私はどうやって生きていくつもりだったと言うのだろう。何もかも見通しが甘すぎて、笑いたくなってしまう。
「ああ、気付いてしまいましたか」
「え……?」
「やっぱり魔法を返してほしいと泣きついてくると思ったんですけどね」
「……ええ?」
ちょっと優しすぎるんじゃないかとは思っていたのだ。でもまさか、こんなやり方でくるなんて。リドルくんには本当に頭が上がらない。
アズールくんは紙束をまとめて立ち上がった。顔は笑っているけど……怖い。
「あの、時間をとらせてすみませんでした」
私は逃げるようにカフェを出た。契約もしないでアズールくんたちには悪いことをしたと思う。けど、そのおかげで決意できた――。
ユウくんはアズールくんとの契約を果たしたみたいで、みんなイソギンチャクから解放されていた。私はいつもみたいに校内を歩いて、いつも通りトレイさんを見つける。
私が首の魔石を触ると、トレイさんは人目につかない場所に移動して魔法を使ってくれた。二人並んで木の下に腰を下ろす。
「トレイさん、私、あの……魔法の勉強をすることにしました」
「……そうか。背中を押してやりたいけど、ちょっと寂しい気もするな」
「どうして?」
私は思わずトレイさんの手を握ってしまっていた。慌てて離そうとして、逆に握り返されてしまう。
「どうしてって、本当はわかってるんじゃないか?」
「……」
やっぱりトレイさんはずるい。ここまで来て、どうして言ってくれないんだろう。
「私に頼られなくなるから寂しいんですよね」
「そうだよ」
もうヤケクソだった。
「私のこと……、好きなんですね」
「好きだよ」
そのとき、トレイさんの魔法が解けてしまった。よかった。人間だったら泣いてしまうところだった。
私はトレイさんの肩に登って頬に口を押し当てた。これはトレイさんも予想してなかったみたいで、目を見開いている。
「ニャー」
そう言えば私はまだ好きだと伝えていなかった。前に何度か好きだと言ってみたことはあったけど、全部猫のときだ。今回もそうなってしまったのは、もったいぶらせたトレイさんの責任だと思う。このとき私は、トレイさんが二度目の魔法を使ってくるなんて思いつきもしなかった。
こうして私はナイトレイブンカレッジに入学することになった。授業は猫の姿で受けている。最初に覚えたのは魔法でペンを操ってノートをとることだ。これがなかなか難しい。でも、ユウくんや学園長さん、ハーツラビュルのみんなも協力してくれて何とかついていけている。
学園で学んでいるうちに、将来は魔法士として働くのもいいかなあと思えてきた。記憶が戻ったら元いた場所に帰るのだと思い込んでいたけど、私は案外今の生活も気に入っている。そこまで昔の記憶が重要じゃないと思えるようになったのだ。
「おーし、頑張れよ」
「モカさんならできます!」
「オレ様の後輩として、しっかりやるんだゾ!」
「僕たちみんなついてるよ」
「カメラの準備、いつでもオッケ~!」
「落ち着いて、習った通りにするのだよ」
「モカ、」
最後にトレイさんの声が聞こえて、私は目を閉じた。大丈夫、できる。人間の姿を思い浮かべながら、精神を集中させる。――次に目を開けたときはトレイさんの腕の中だった。みんなの前で、なんてことしてくれるんだろう。せっかく上手くいったのに、びっくりして猫に戻ってしまった。
「ニャー」
ぽか、とトレイさんの額を叩くと周りのみんなに笑われてしまった。