2話
エマがホームズと初めて出会ったのは、雪の降る静かな日だった。
じっとカウンターに座っているだけでは足先が冷え切ってしまうため、エマは店内を意味もなく歩き回っていた。そんなときに慌てた様子でドアを開けたのが彼だった。
客人はきょろきょろと店の中を見渡し、何か探している様子だ。彼の鼻はほんのり赤くなっていて、肩には溶けかけた雪が乗っている。彼があまりに切羽詰まっているように見えたため、エマは声を掛けた。
「あの、何かお探しでしょうか」
「あ、ああ……」
客人の男性はコホンと咳ばらいをした。そして少し言いづらそうに、目を泳がせる。
「風邪で寝込んでいる子がいるのですが……」
「それは大変です。お医者様には?」
「ええ、もう薬は頂いたのですが……何も食べようとしないのですよ」
それで何か食べやすいものをと、この寒い中を走ったそうだ。
エマは店の中を見渡した。お菓子は――喜ぶかもしれないが、風邪の子供に勧めるのは気が引ける。そうなれば、この店にはもう果物しか食べられるものがない。食べやすくて、元気が出る果物。エマは林檎を手に取り、客人に差し出した。
「林檎をすりおろしてあげたらいかがでしょう? 栄養もありますし、喉を通りやすいと思います」
エマの提案に彼は頷いた。
エマは紙袋に林檎を三つ、それとおまけを入れて彼に渡した。
「これは?」
「それはお客様に。さぞお疲れでしょうから。そんなときには甘いものが一番です」
事実、彼の目元には隈ができていた。看病で寝不足なのか、それとも仕事が忙しいのか。一度会っただけの客にそこまで踏み入った質問はしない。ただ、風邪の子共のためにと雪の中を走った客人が、少しでも元気になってくれたらと思っただけのことだ。
「ありがとう」
それは店に入って来たときよりも幾ばくか落ち着いた物言いだった。彼は帽子を深く被りなおして、店を去った。
それから数日後。あの客人はまた店のドアを開いた。彼の後ろから、小さな女の子が顔を覗かせている。
二人は林檎とビスケットを手に取り、カウンターへ置いた。
「この間は助かりました。おかげさまでアイリスもこの通り」
「こんにちは! 林檎、とってもおいしかったの」
「アイリスちゃん、元気になってよかったね。わざわざ来てくれて嬉しい」
明るくて真っ直ぐな笑みを向けてくれるアイリスに、エマは頬を緩ませた。
代金と品物の受け渡しを終えた二人を出口まで見送る。手を繋いで歩く二人は本当に仲睦まじく見えた。見た目はそんなに似ていないけれど、笑い方やちょっとした仕草はそっくりだ。外に出た二人が振り返るタイミングも全く同じだったので、少し笑ってしまった。
エマは二人に手を振って、彼らが背を向けるのを見届けてからドアを閉めた。
それから二人はよく店を訪ねるようになった。ホームズはビスケットや他の甘い菓子類を、アイリスは茶葉や果物を買ってくれる。そのたびに少しずつ話をするのだが、いちばん驚いたのは二人に血の繋がりがないということだった。あまり触れないほうがいい話題かとエマは言葉に詰まったが、そんなに気を使わなくていいとアイリスにむしろ気を使われてしまう。
「それよりエマちゃん、うちに遊びに来てよ。お茶とお菓子と……それからもっとお喋りしよう?」
「ありがとう。でも、お店があるから……」
店を閉めてから行くのでは遅い時間になってしまう。幼いアイリスと“お喋り”するには、あまり適切な時間ではない。エマが難色を示していると、ホームズが「ところで」と口を開いた。
「ミス・エマ。少々気になっていたのですが、この店に休みはあるのですか?」
「あっ、そう言えば……いつ来ても開いてるよね?」
「えっと、お休みは年明けやお祭りのときぐらいですね」
この店はもともと両親と三人でやっていた。そのときは交代で休みを取ることも出来ていたが、一年ほど前に父親が腰を痛めてしまったのだ。そこで病院の近い親戚の家に世話になることが決まり、この店は閉めようということでほぼ決定していたのだが。
「私はこの店が好きだったので、残って店を継いだんです。だから休みのことはあまり考えていなくて」
「えー! そんなのエマちゃんが倒れちゃうよ!」
その通りだとホームズも同意した。
「ご両親と三人でやっていたときのようにと、あなたはそれを一年も続けた。とても立派なことです」
「……はい」
返事をするのがやっとだった。ホームズの真っ直ぐな視線と優しさに満ちた言葉が、じんと心に沁みる。両親と離れ一人で店を続けて、労いの言葉を掛けてもらったのはこれが初めてだったのだ。
ホームズは尚も続ける。
「しかしあなたが無理をして、病気になって、そしたらこの店は? 休むことも仕事の一つだと思いませんか?」
「それは……確かに、お二人の言う通りかもしれません」
「そうと決まれば話は早い!」
ホームズの表情は先ほどの真面目なものから一転。得意気な顔でぱちんと指を鳴らした。
「少し待っていてください。アイリスも、いいね?」
ホームズは返事も聞かないまま店を出て行ってしまった。何がどうなったのかと戸惑うエマに対して、アイリスは落ち着いている。どうやら彼の突拍子のない行動は、今に始まったことではないらしい。
「……えーっとね、エマちゃん」
「どうしたの?」
「エマちゃんを招待しようって言いだしたの、ホームズくんなの」
たぶん最初からこのつもりだったんじゃないかなあと、アイリスは首をひねった。
「あたしもエマちゃんとお茶したかったから賛成したんだけど、自分で言えばいいのにって思ったの」
「そ……そう、だったんだ」
エマはまたも何か心に響くものを感じた。胸の奥から、気付けば指先までもがほのかに熱を帯びたような、そんな心地だ。
「ほんと、分かりやすいのか分かりにくいのか。……あ、ホームズくん戻って来たみたい」
再び店に現れたホームズはなぜか馬車に乗っていた。そして木の板やら金づちやら、色々な道具を荷台から降ろし、外で作業を始めてしまう。店の入口に主張の激しい立て看板と定休日が出来たのは、その日からだった。